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待降節第4週:神に属する

 Mary M. McGlone, CSJ

Graphic of an Advent wreath with all four candles lit.

アハズは、イスラエルが経験した中でも最も残酷な王の一人でした。彼は自分の息子さえも、火に焼いて神モロクへの捧げものとしたのです(列王記下 16 章 3 節)。イザヤは警告の言葉を伝えるためにアハズ王のもとへ行きました。イスラエルの真の王として、神は民を守ることを誓った証しとして、しるしを神に求めるようにアハズに命じました。しかしアハズは、敬虔さを装ってしるしを求めることを拒み、神の摂理を信じるよりも、同盟国に頼ることを選びました。反逆的な王を無視し、イザヤは、神が民と共におられることのしるしとして、「インマヌエル」という子の誕生が告げられると語ったのです。

何という皮肉でしょう!マタイは、自分の子を殺したアハズへの預言を取り上げて、悪と死を打ち負かす神の子イエスの誕生を説かれたのです。しかも、アハズにとって壮大なしるしとされたものは、世界で最もありふれた出来事、すなわち「子どもの誕生」だったのです。

2025年12月21日

  • イザヤ書 7 章 10–14 節
  • 詩編 24 章 1–2、3–4、5–6 節
  • ローマの信徒への手紙 1 章 1–7 節
  • マタイによる福音書 1 章 18–24 節

イザヤの物語には、神の指紋が至るところに現れています。政治的な同盟だけに頼る、高慢な、ずる賢い支配者に応えるために、神は一人の素朴な若い女性を通して働かれました。そして彼女が身ごもる無防備な幼子は、重武装で偏屈な暴虐者たちを打ち破る力を秘めていたのです。さて、この中に隠れているメッセージは何でしょう?それは、神はごく身近な人々を通して共におられるということです。神は横柄な者を、へりくだった者を通して打ち倒されるのです。

マタイはイザヤの預言を改めて説き、それを「インマヌエル」であるイエスの到来に適用しています。そこからマタイの物語は、神の神秘的な働きを示すさまざまな出来事を描き続けていきます。ルカが降誕をマリアとイエスの血縁者たちの視点から捉えているのに対し、マタイは、起こったすべての出来事におけるヨゼフと神の独自の役割を強調する伝え方を選びました。

この物語を紡ぎながら、マタイは簡単に「マリアは聖霊によって身ごもった」と述べています。受肉を告げるのに、これほど控えめな表現があるでしょうか? とても短い言葉ながら、その言葉はインマヌエルについてのイザヤの告知と一致しています。それはまた、ヨゼフが新しい現実と出会い、その中で自らの人生が変わるということを素直に受け入れた彼の姿勢を私たちに示しているのです。

マタイによるヨセフの描写は、神と協働する際にしばしば伴うものを明らかにしています。ヨゼフはマリアと同様、神の神秘的な計画のためにすべてを捧げる覚悟が必要でした。「すべて」とは、居住地、家族、自分に対する評価、つまり私たちが自己を定義する基盤となるあらゆるものを指しています。

パウロがローマの信徒への手紙の挨拶文を書いた時、マタイと同様に、彼は受肉の神秘を単純な言葉で表現しました。パウロはイエスを「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた」と描きました。これらの表現は二つの重大な真理を宣言しているのです。第一に、インマヌエルは私たちの肉から生まれた者であり、地上に存在した、あるいはこれから存在するあらゆるものと同様に、神の創造に参与する存在だということです。

パウロはさらに、イエス・キリストが聖霊によって神の子となったことを明らかにし、復活においてそのことが立証されたと述べています。当時、三位一体の神学やイエスの二つの性質に関する教義はまだ確立されていませんでしたが、パウロは神が死すべき人間を神性に参与し得る存在として創造し、イエスがその実証であるという理解の基礎を築いてくれたのです。そしてパウロは続けます。「私たちは。。。彼によって恵みと使途の務とをうけたのであり、。。。召されてイエス・キリストに属するものとなったのである。」 言い換えれば、キリストはご自身の命と死と復活を通して、それを受け入れる者たちを、キリストにおける真の自己認識へと導かれるのです。

テイヤール・ド・シャルダンはかつてこう書きました。「創造のゆえに、そしてなお一層受肉のゆえに、見方を知る者にとって、この地上の何もかもが聖なるものである。」福音書、いえ、実際には聖書全体が、被造物の聖性と、神が私たちと一体になられたいという望みを宣べ伝えているのです。ギリシア人に説教したとき(使徒 17:24-28)、パウロは私たちのための神のデザインについてこう述べています。「われわれは神のうちに生き、動き、存在している。」

パウロは、キリストに生きるということは願望ではなく、事実であると教えました。私たちがそれに気づいていようといまいと、私たちはイエスと同じように、確かに神に属しているのです。この現実を受け入れることができれば、私たちの自己認識は変わっていきます。パウロは、キリストがご自分を空しくし、人間と同じ者になられたと教えています(フィリピの信徒への手紙 2 章 5–8 節)。同じように私たちも、ヨゼフにならって自らを空しくし、神との一致を妨げたり、神の創造の業に協力することを阻むものを手放すよう招かれています。

神はすべての被造物の命を包み込んでくださっています。待降節第 4 主日、クリスマスを数日後に控えたこのとき、降誕の神秘を、私たちが神のいのちにあずかっていることへの招きとして感想しましょう。私たち人間は、自分のいのちの真理を理解し、神のデザインに協力することを選ぶことができ、すべてが共通の神聖な目的へと進むのを助けることのできる生き物なのです。

ついては、世界がインマヌエルに出会うためのしるしとなるよう、招かれているのは私たちなのです。

振り返りのための質問

  1. 今週の聖書朗読またはリフレクションの中で、あなたが心を動かされたことは何ですか? 
  2. あなたにとって難しい、あるいは挑戦的だと感じた点は何でしたか?
  3. 今週の呼びかけに応えるために、個人的に、または共に、今週そして長期的な将来に向けて、どのような具体的な行動を取ることができると思いますか? 

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The Sisters of St. Joseph of Carondelet are a congregation of Catholic sisters. We, and those who share our charism and mission, are motivated in all things by our profound love of God and our dear neighbors. We seek to build communities and bridge divides between people. Since our first sisters gathered in 1650, our members have been called to “do all things of which women are capable.” The first sisters of our congregation arrived in St. Louis, Missouri in 1836, and we now have additional locations in St. Paul, Albany, Los Angeles, Hawaii, Japan and Peru. Today, we commit to respond boldly to injustice and dare to be prophetic.

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