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待降節第三週:光となるよう招かれて

 Mary M. McGlone, CSJ

Graphic of an Advent wreath with three of the candles lit.

クリスマスの灯りが世界中で輝いています。南半球の夏でも、北半球の冬でも、赤道付近の常春の地でも、私たちはルミナリア(灯火)を飾り、ろうそくを灯し、木々にライトを飾り、どこを見ても心が明るくなる雰囲気を作り出します。これらの灯りは、クリスマスの訪れを告げるしるしです。しかし、どれほど華やかに飾り立てたとしても、聖書が語るインマヌエルの時と比べれば、私たちのいかに豪華な装飾でも、貧弱に見えてしまいます。

イザヤは、神が来られるとき、荒れ野はきらめき、大地そのものが歌い出すのだと語っています。回勅「ラウダート・シ」でも、教皇フランシスコは同じことを述べられました。「すべての被造物の運命はキリストと結びついています……復活されたお方が、神秘的にすべてを御自分に引き寄せられ、完成へと導いておられるので、世界の被造物はもはや単なる自然の姿として現れるのではありません……野の花も鳥たちも、今やその輝かしい存在に満たされていまるのです。」(『ラウダート・シ』99、100)教皇フランシスコは、すべての被造物をインマヌエルの秘跡、すなわち 神が私たちと共におられるのだ、と言われました。そして神は、こう語り続けておられます。「見よ、わたしは新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。」(イザヤ 43 章 19 節)

2025年12月14日

  • イザヤ書 35 章 1–6a 節、10 節
  • 詩編 146 章 6–7 節、8–9 節、9–10 節
  • ヤコブの手紙 5 章 7–10 節
  • マタイによる福音書 11 章 2–11 節

私たちは何を気付くべきなのでしょう?それは、洗礼者ヨハネがイエスに対して抱いた疑問でもありました。想像してみてください。彼は牢に閉じ込められ、自分のしてきたことは無駄だったのだろうかと悩んでいました。イエスは暴君たちを玉座から引きずり下ろしたり、人々を神の恐れで圧倒することなどしませんでした。むしろ、イエスはヨハネよりもはるかに穏やかに、そして時にはユーモアさえ交えて語られていました。そこでヨハネは弟子たちを遣わし、こう尋ねさせました。「来るべきお方は、あなたでしょうか?それとも、他の方を待たなければなりませんか?」私たちも、打ち負かせないような悪に直面している時には、きっと同じ疑問を抱くことでしょう。

「主よ、来て私たちを救ってください」と祈るとき、私たちは何を期待しているのでしょうか。 今日の詩編は、「主はとこしえに真実を守り、虐げられるもののためにさばきをおこなう」方だと宣言しています。 私たちは暴政や戦争、飢餓を見つめながら、「いつ?どこで?」と問いかたくなりけます。

「復活されたお方が万物を神の満ちあふれる完成へと導いておられるのだ」という教皇フランシスのお言葉をここで繰り返すことは、なんと素晴らしいことでしょう。 この季節、私たちはクリスマスツリーやご馳走やプレゼントを楽しみます。 「インマヌエルよ、共にいてください」と歌い、「Joy to the World」を賛美し、「O Holy Night」の柔らかなハーモニーに心を浸します。 しかし、午後 6 時のニュースをつけると、それとは裏腹に、世の中は暴力、戦争、不正義、災害のニュースばかりではないでしょうか?

パウロは、農夫のような忍耐をもつようにと私たちに呼びかけています。私たちが 気がついていないことは、私たちが必要としているのは、神に対する忍耐よりも、自分自身への忍耐なのです。世界に愛の領域を広げ、必要な変化をもたらし、預言者たちのように自分たちの安逸を手放すために、私たちは何をしているのでしょうか。 劇的なしるしが見えなくても、歩み続けるだけの忍耐が私たちにあるのでしょうか。

今日の福音は、イエスを飼い葉桶や聖櫃の中に探すのではなく、イエスがヨハネの弟子たちに語られたことに耳を傾けるよう促しています。では、今日どこでキリストの働きを見いだすことができるのでしょうか。それは、白内障の手術を行い、抗生物質やワクチンや老眼鏡を処方し、耳が聞こえない人のために人工内耳を提供する医師たちの働きの中に見られます。また、ウガンダの人々が水を浄化できるようになった所に、ガザやウクライナで WCK.org が食糧を届けている所に、物質的な利益よりも生徒たちの可能性を伸ばすことをに心を注ぐ教師たちの中に、キリストの救いの業が見えるのです。さらに、修道者たちが故郷や安全を離れ、最も困窮している隣人たちに仕える姿の中にも。移民のため、民主主義のために平和的に抗議する人々の中にも。そして一人の人がもう一人を助けたり慰めたりするあらゆる場面の中にも、私たちはキリストの働きを見ることができるのです。これら一つ一つの光景は、私たちの間で続いているキリストの降誕を映し出しているのです。

神は、神のいのちにあずかることのできる被造物をお生みになりました。イエスはその真理を、誰もが倣うことのできる形で証しされました。私たちも彼にならって、神の恵みに心を開くために、絶えず祈り続ける必要があります。神が私たちの中でどのように働かれるのかをより深く理解するため、より多くの時間をかけて聖書を思索する必要があります。同じ呼びかけを受けた人々と共に振り返り、祈る必要があります。そして、受肉したみ言葉の大胆さをもって、真実と誠実さをもって語り、イエスと預言者たちのように大胆に行動し、時に危険を伴うこともあるかもしれませんが、いのちを与えるというキリストの仕事を私たちはいつ、どこにいても続けていかなければなりません。

教皇フランシスコは、神は被造物すべてを、そのなりうる存在の完全な姿へと導いておられるのだと教えていくださいました。その「満ちること」は常に変化しており、私たちが互いに、神と、そしてすべての被造物とともに、限りない愛の交わりを喜び祝う中で、成長し続けます。この季節、そして常に、私たちはキリストの存在をこの世界に示す「光」となるよう招かれているのです。

振り返りのための質問

  1. 今週の聖書朗読またはリフレクションの中で、あなたが心を動かされたことは何ですか? 
  2. あなたにとって難しい、あるいは挑戦的だと感じた点は何でしたか?
  3. 今週の呼びかけに応えるために、個人的に、または共に、今週そして長期的な将来に向けて、どのような具体的な行動を取ることができると思いますか? 

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The Sisters of St. Joseph of Carondelet are a congregation of Catholic sisters. We, and those who share our charism and mission, are motivated in all things by our profound love of God and our dear neighbors. We seek to build communities and bridge divides between people. Since our first sisters gathered in 1650, our members have been called to “do all things of which women are capable.” The first sisters of our congregation arrived in St. Louis, Missouri in 1836, and we now have additional locations in St. Paul, Albany, Los Angeles, Hawaii, Japan and Peru. Today, we commit to respond boldly to injustice and dare to be prophetic.

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