
2023年、シスター・ルシア・ヤマダは、日本の広島で生まれ育った小倉知子(おぐら のりこ)さんにインタビューする機会を得ました。
知子さんは結婚し、現在、三重県津市にお住まいです。 そして、お嬢さんの小倉愛香さんは6年間、セントヨゼフ女子学園で学び、結婚し、愛香さんのご主人お仕事の関係で、現在はオレンジカウンティーに住んでいます。
インタビューの中で、シスター・ルシアと小倉さんは、広島への原爆投下、それが小倉さんのご家族に与えた影響、現在の広島における原爆の記憶、そして核兵器廃絶への希望について語り合いました。
インタビュー
質問:自己紹介をお願いします。
答え:小倉知子(おぐら のりこ)と申します。広島市で生まれました。爆心地のすぐそばで育ちました。広島に原爆が投下されたときは、私の母が3歳でした。今日は、その母から聞いたことや祖母、親戚の方、また、お友達から聞いたことなどをお話しします。
質問:.ご家族で原爆の被害を受けた方はいらっしゃいますか?
答え:私の母の祖父、祖母、父親が亡くなりました。
質問:お母様やお母様のご親戚から原爆について聞いているお話しを聞かせてください。
答え: 原爆が投下された爆心地の近くで、母方の一族はミシン針工場をしていました。原爆投下の時には、3歳だった母や母の姉たちは、その工場の所ではなく、母方の親戚のところに行っていたために、無事だったわけです。
最近聞いたお話で、私も知らなかったことなのですが。ミシン針工場が被害に遭い、真っ黒に燃えた誰かわからない骨を拾ってお墓におさめたというお話しでした。
質問:お母様から聞いているお話をお聞かせください。
答え:私の母の記憶の中に強烈に残っているのは、死体の臭いなのだそうです。広島に原爆が落ちたのは、8月6日、日本の真夏ですから。人間の嗅覚の記憶って、すごく残るのですね。そして、「熱い、熱い、お水を下さい。」と言いながら、前にある川に飛び込んでいった人々がいっぱいいたとよく話してくれました。
しかし、本当の苦しみは、母も母方の親戚もほとんどといって語らなかった。たぶん、それは地獄のような光景が広がり、語ると胸が張り裂けそうになる気持ちが沸き起こるからじゃないかと思います。
質問:8月6日の広島市民の過ごし方は、どのように過ごしますか?
答え:小・中は全校登校日になっています。高校は一部です。午前8時15分に各自で黙祷、学 校では、原爆の話を聞く、感想文を書くという日になっています。広島市民は8月6日にたく さんの方々がお亡くなりましたので、その日お墓参りをいたします。
質問:広島市民としてお育ちになった小倉さんにとって、何を願っていますか?
答え:核兵器廃絶を願っています。
G7のトップの方々が広島の原爆資料館、原爆ドームを訪問されたことは平和への前進と喜んでいます。
質問:被爆者は、爆撃を受けたことだけで、苦しいのだけれど、被爆者への差別と偏見があります。とても辛い日本社会の現実として、これは、ご家族の中で何か影響がありますか。
答え:母も親戚もみんな原爆のことを詳しく語らなかった。語ることがこわかった。これは家族の中で社会の差別や偏見を避けるためと思っています。
質問:アメリカ人に伝えたいことがありますか?
答え:どうぞ、広島に来て、原爆資料館や原爆ドームを自分の足で回り、自分の目で確かめてほしいです。
ルシア: 本日は、長い時間インタビューに答えていただき、ありがとうございました。