私がミニストリーをしているロサンゼルスの聖フランシスコ・ザビエル教会では、1月21日にエルショフ司教様をお迎えしてミサと新年会が行われました。十数名のCSJのシスターが出席されたことは、教区の人たちにとって大きな喜びでした。
この小教区は他とは少し違う歴史があります。所属信者さんの多くはここに設置されていたメリノール・スクールの卒業生であり、彼らのお祖父様、お祖母様、ご両親は第二次世界大戦中にマンザナールやツールレイク収容所で共に過ごし、あるいは442部隊(日系米国人部隊)の兵士としてヨーロッパ戦線で共に戦った仲間です。そのため、この小教区の人たちは何世代にもわたってお互いをよく知っており、いうなれば大きな一つの家族のようなものです。日系移民といっても、3世以降の人たちの多くは日本語をまったく解しませんがが、日本の習慣の多くは今でも世代間で受け継がれています。
21日は、日本語と英語のミサの後、ホールで新年会が開かれました。所属信者さんによる琴と三味線の演奏、ドアン神父様のリードによる日本の歌の合唱、また、お雑煮やお弁当、日本酒がふるまわれました。エルショフ司教様も信者さんたちとの交わりを心から楽しんでおられ、そのお人柄の暖かさに、みな感動しました。信者さんたちは、CSJのシスターたちがとても気さくで明るいことに大変好感を持ち、パーティーの後、多くの方が私に「あなたの共同体のシスターたちが、これからも私たちの教会に来てくれると嬉しい。今日はシスター方がたくさん来てくださって本当に楽しかった」と言ってくれました。このイベントに参加してくださったすべてのシスターに感謝いたします。
このパーティーが行われたホールには特別な歴史があります。収容所に強制移住させられる直前に、信者さんたちは大切な荷物をご自宅からこのホールに移したのです。彼らは、「この移転はあなた方の安全のためであり、あなた方はすぐ家に戻れますよ」というアナウンスを信じてはいませんでした。そして戦争中の四年間、近隣のアメリカ人がこの場と彼らの荷物を守ってくれていたのです。つまり、このホールは『和解』の象徴ともいえます。
現在、ここに所属する信者さんは日本人、日系人に加え、フィリピン人、ラテン系、アフリカ系、白人、韓国系など多様化し、主任司祭は日本でイエズス会に入会したベトナム人です。そういった意味で、この小教区は国際都市ロサンゼルスのシンボルになりつつあります。
私はここでミニストリーができることを心から嬉しく思い、感謝しています。
Sr.マリー・ド・ルルド黒木 CSJ
Sr.マリー・ド・ルルド黒木(ロサンゼルス管区)出生地:東京、2019年に入会し、一年間三重県津市、二年間ロサンゼルス、10ヵ月フィラデルフィアのコミュニティで過ごし、現在ロサンゼルス在住。初誓願宣立後、ロサンゼルス・リトル東京近くにある聖フランシスコ・ザビエル教会に派遣される。CSJのコミュニティでの生活と、ここでのミニストリーを日々喜びをもって過ごしている。